コラム

最近のメディテーションブームについて

瞑想が流行する現代 ― メディテーションブームの背景


ここ数年、「瞑想」「メディテーション」という言葉を耳にする機会が一気に増えました。
書店にはマインドフルネス関連の本が並び、アプリを使って誰でも手軽に始められる瞑想プログラムが人気を集めています。SNSでも「1日5分で心が整う」「リラックス習慣としての瞑想」といった言葉があふれ、今やブームというより日常的な習慣として広がりつつあります。

この流れ自体は素晴らしいことです。かつて宗教的な修行や難解な精神鍛錬として敬遠されがちだった瞑想が、多くの人の生活に自然に取り入れられるようになったのですから。ストレス社会の中で、呼吸を整え、静かな時間を持つことは確かに大切です。

リラクゼーションとしての瞑想 ― しかし本質とは違う

しかし、私自身にはどうしても引っかかる点があります。
最近のメディテーションブームで語られている瞑想は、あまりにも「リラクゼーション」の枠に収まっているのではないか、ということです。

心地よい音楽を聴き、目を閉じて深呼吸をする。それは確かに気分を落ち着ける効果があります。けれども、それを「瞑想のすべて」と捉えてしまうのは、あまりにももったいない。本来の瞑想はもっと奥深く、「自己実現」と「精神の解放」という根源的な意味を持つものだからです。

本当の瞑想とは何か

私が考える本質的な瞑想は、単なる休憩やリラックスではなく、自分の存在に深く向き合う行為です。
「自分とは誰か」「なぜ苦しみや執着から逃れられないのか」「どうすれば自由になれるのか」――こうした問いを探求する道具こそが瞑想です。

私自身も始めた当初は何も分かりませんでした。座れば雑念ばかりが浮かび、むしろ苛立ちを感じるほど。しかし繰り返すうちに、ある瞬間ふと心の奥に静けさがあることに気づいたのです。その体験は、内面に深い井戸を見つけたような感覚であり、それ以来、瞑想は「休憩」ではなく「旅」へと変わりました。

メディテーションブームを超えて ― 活動を考える

こうした体験を重ねるほどに、私は思うのです。
この瞑想ブームを、単なる流行で終わらせてはならない。

リラクゼーションの入り口からさらに一歩進み、本質に触れる人が増えてほしい。瞑想の可能性は「気持ちを落ち着ける」以上に広がっているからです。

そのために、私自身が何かしら活動をしていけたらと思っています。文章として伝えるのか、体験の場を作るのか、仲間と共有するのか。まだ具体的な形は決まっていませんが、瞑想の本質を伝えることは、私にとってもまた一つの修行なのだと感じています。

瞑想を「自己実現と精神の解放」へと結びつけるために

瞑想は決して特別な人のものではありません。しかし軽く扱ってしまうには、あまりにも奥深い営みです。
大切なのは「リラクゼーション」にとどまらず、学び、体験し、そして日々の生き方と結びつけること

ブームの中で「瞑想を知った」という人たちが、やがてその本質に気づくきっかけを少しでも提供できたら幸いです。

瞑想・医学・歴史を横断的に探究するライター 当ブログでは科学と精神の両面から人間の可能性を追求し、その成果をわかりやすく発信しています

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