催眠術とは何か


催眠の定義と基本メカニズム

催眠術の本質は「暗示」と「潜在意識」へのアクセスにあります。普段私たちは顕在意識(理性・思考)で生活していますが、無意識下では膨大な情報や感情、記憶が処理されています。催眠状態は、顕在意識の働きを一時的に弱め、潜在意識に直接アクセスしやすくするものです。


現代心理学における催眠とは

暗示に対する感受性が著しく高まった状態(変性意識)と定義されます。この状態は、特定の催眠誘導法によって人為的に引き起こされ、意識や知覚、記憶、思考、感情などに変化が見られるのが特徴です。


催眠状態は、あたかも眠っているように見えますが、実際には意識が完全に失われているわけではありません。被験者は外部の指示や自身の内的な体験に強く集中しており、周囲の出来事への注意が低下している状態です。

催眠と睡眠の違い

  • 催眠: 意識が完全に失われるわけではなく、暗示に対して意識が鋭敏になる。自分の意思で覚醒することができる
  • 睡眠: 意識が低下し、外部の刺激に対する反応が鈍くなる

フナにおける催眠とは

潜在意識(ロウセルフ)に対し暗示が入りやすい状態
催眠状態においても顕在意識(ミドルセルフ)は覚醒しているので、周囲の状況は把握できる

上記の二つ(心理学とフナ)は同じ状態を示しています。
私自身の催眠体験でも意識ははっきりとしていました。ただし、肉体の制御は術者によりコントロールできる状態でした。


「意識の変性状態」としての催眠

催眠状態と言うのは通常の覚醒状態とは意識の状態が違います。
潜在意識は通常、暗示を受け入れません。心理学では顕在意識がブロックをしているからだと説明します。
催眠術の技法により、そのブロックを取り除くことで暗示が入るとされています。
その状態を意識の変性状態と呼びます。



顕在意識が暗示をブロックしているとするならば、意識的に暗示を受け入れるようにすれば誰でも催眠状態にはいれるはずです。しかしどんなに暗示を受け入れようとしても、成功率は20%を超えることはありません。
この説明では催眠術の感受性について十分な説得力を持つとは言えないのです。

催眠術の感受性

催眠術を体験したことがあれば分かりますが、意識の変性状態とは顕在意識の変化を感じません。
肉体の感覚がすうっと薄れたり、体温が少し上がったようなぼうっとした感覚になります。

フナの説明であれば、ロウセルフが暗示を受ける体勢になったのだと分かります。そこに顕在意識の介在は無いのです。


西洋での催眠研究の歴史(メスメル、ブレイド、フロイトなど)

西洋における催眠の研究は、時代とともにその解釈を大きく変え、現代心理学の基盤を築く上で重要な役割を果たしました。当初は神秘的な現象として捉えられていましたが、次第に科学的なアプローチで解明されるようになります。

18世紀:フランツ・アントン・メスメルと「動物磁気」

催眠研究の歴史は、18世紀後半のオーストリア人医師、フランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer)から始まります。彼は、宇宙に遍在する見えない流体「動物磁気(animal magnetism)」が人間の体にも流れており、その流れが滞ると病気になると考えました。メスメルは、磁石や手かざしによってこの流体のバランスを整えるという独自の治療法を確立し、多くの患者を治療して人気を博しました。彼の治療を受けると、患者は痙攣や失神といった劇的な反応を示し、これが治癒につながるとされました。

しかし、彼の治療効果が本当に流体によるものなのか、それとも患者の想像力によるものなのかを検証する目的で、フランスの科学アカデミーが調査委員会を設置しました。委員の一人、ベンジャミン・フランクリンも加わったこの調査で、流体の存在は科学的に否定され、メスメルの治療効果は患者の暗示や想像力によるものと結論付けられました。この結果、メスメリズムは科学の表舞台から一時的に姿を消すことになります。


19世紀:ジェームズ・ブレイドと「催眠」の命名

メスメルの死後、メスメリズムは民間で細々と受け継がれていましたが、19世紀中頃にイギリスの外科医、ジェームズ・ブレイド(James Braid)によって再評価されます。当初は懐疑的だったブレイドは、メスメリズムの施術を目の当たりにし、その現象が神秘的な流体によるものではなく、心理生理学的な現象であることを確信します。

彼は、患者が一点を凝視し続けることで意図的に引き起こされる、神経の疲労による「人工的な眠りの状態」と解釈しました。そして、この状態をギリシャ語で「眠り」を意味する「hypnos」から「hypnotism(催眠)」と命名しました。ブレイドの研究は、催眠を迷信から解放し、科学的な研究対象へと引き上げる上で決定的な役割を果たしました。彼は、催眠の効果が暗示によって生じることをいち早く指摘し、現代の催眠研究の方向性を定めました。


19世紀後半:フロイトと精神分析への道

催眠は、フランスの神経学派とナンシー学派の論争を経て、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)に引き継がれます。ヒステリー研究で知られるフロイトは、パリでジャン=マルタン・シャルコーに師事し、ヒステリーが催眠によって症状が誘発・除去されることを学びます。彼は、ヒステリーの原因が無意識に抑圧された心的外傷にあると考え、催眠を用いてその外傷を「想起」させることで治癒を目指しました。この手法を「カタルシス(浄化)法」と呼びました。

しかし、フロイトは、すべての患者が催眠にかかるわけではないことや、催眠状態での記憶の回復に限界があることを痛感します。また、治療者への依存が生じる可能性も問題視しました。これらの経験から、彼は催眠から離れ、患者に心に浮かんだことを自由に話させる「自由連想法」を確立し、精神分析学を創始しました。フロイトは催眠を放棄したものの、彼の初期の催眠研究は、無意識や抑圧といった精神分析の基本的な概念を生み出すきっかけとなりました。

これらの研究者たちの営みは、催眠という現象を神秘主義から解放し、心理学、特に精神分析学の誕生へとつながる重要なステップだったと言えるでしょう。