十二支族の末裔

スチュワートとロングの接触の経緯

  • ロングがイギリスで最初の著作『Recovering the Ancient Magic』(1936)を出版したあと、彼の研究に共鳴した読者たちから手紙が届くようになった。
  • その中に、**W. レジナルド・スチュワート(イギリス・ブライトン在住の外国特派員)**がいた。

スチュワートの体験

  • 若い頃、スチュワートは北アフリカのアトラス山脈に住むベルベル人の部族の噂を耳にした。
  • その部族は「古代から伝わる魔法の知識」を保持しているとされ、その伝承はエジプトから西に移動してきたものだと伝えられていた。
  • 彼はその部族を探し出し、そこで唯一知識を持つ女性に出会う。彼女は 「クアヒニ(quahini)」 と呼ばれていた。
    • これはベルベル語ではなく、のちに分かったことだが、ハワイ語の「カフナ・ワヒネ(女性カフナ)」に対応する語だった。

スチュワートの修行

  • クアヒニに認められるため、スチュワートは儀式を経て「血の息子」として養子に迎え入れられる。
  • それにより、彼は秘教的知識(心理学と宗教を基盤とする体系)の訓練を受け始める。
  • 彼はクアヒニの娘と共に学び、言語の壁を越えて「聖なる言語(sacred language)」の単語を少しずつ理解していった。
  • しかし部族間抗争の際、流れ弾によってクアヒニは命を落とし、訓練は中断された。

ロングとの出会い

  • それから長い年月を経て、スチュワートが老年になったころ、偶然ロングの本(ハワイのカフナ研究)を手にする。
  • そこでスチュワートは、自身が若い頃に記録していた「聖なる言語」の単語リストと、ロングが解読したハワイ語の神秘的意味とを比較した。
  • その結果、両者が同一体系に属するものであることを確認する。つまり、彼が北アフリカで学んだ言葉は、実はポリネシア語の一系統だったのだ。
  • 驚いたスチュワートはロングに手紙を書き、そこから二人の間で長い往復書簡のやり取りが始まった。

研究への影響

  • スチュワートの残した古びたノートや語彙集は、ロングの研究を大きく助けることになった。
  • ロングはこれを「ハワイのカフナと北アフリカの秘儀がつながっている証拠」として提示した。
  • また、旧約聖書のなかに隠されたフナの象徴的記述を読み解く鍵にもなった、と述べている。

つまり、

  • スチュワートは若い頃に北アフリカの部族で「聖なる言語」を学び始めたが、師の死で途絶した。
  • 老年になってロングの研究を知り、自分のノートと照合して同じ体系であると理解し、二人は往復書簡を交わすようになった。

他にもクアヒニが語った内容には、ピラミッド建設に関するものもある。

エジプト王の要請により、カフナの一族はピラミッド建設を手伝ったとされている。しかしエジプト王がカフナの秘密に興味を示したため、一族はエジプトから逃げることになった。